『危険な金融機関=株式持合い』  2002年4月16日  vol.21

■忘れてしまったバブルの教訓
 
銀行や生保など大手金融機関が、早くもバブルの教訓を忘れてしまったのだろうか?そんな現象が最近目立つ。
金融機関同士の株式の持ち合い拡大を見る限りでは。

■2つのバブル

80年代の不動産や株価高騰とその後の暴落、そして2,3年前のIT(情報技術)ベンチャー等の超株高とその後の崩壊、これが、日本で起こった2つのバブル崩壊である。
前者は、土地や株価は上がるものという神話の元、金融機関が土地や株式を担保に、その価値以上の貸し込みを行い、企業は金融機関の言いなりのまま、ポリシーが全く無いがごとく、本業と懸け離れた土地や株式に投資(いや投機)をした。
その後、土地や株価が大幅に暴落し、担保価値割れ、借入金返済困難化などが生じ、その後遺症は現在にも至っている。

後者は、日本に本格的にWebやその周辺技術が導入された時期、やれ画期的なビジネスモデルだ、やれ革新的なネット技術だともてはやされたネットベンチャー達が、そのバックボーンも無いまま、多くのベンチャー投資家から資金を集め放題集めていた。投資家達も、有り余る資金と、「投資したこと=仕事の終わり=業績評価」という安易な考えにより、その将来性や展望も理解出来ないままに、どんどんベンチャーに投資していった。
その後、多くのビジネスモデルや技術が、その脆さを露呈し、そもそも無形資産しかないベンチャーは投資を受けた時期の株価の十分の一、百分の一にまで下落し、その後遺症は当分続くであろう。

■バブル崩壊の教訓

これら2つのバブル崩壊から、我々は何を学んだはずなのだろうか?
土地にしろ、株価にしろ、ビジネスモデルにしろ、技術にしろ、本当に価値あるものは価値があるし、無いものは無いという、当たり前の原理原則をまずは学んだ。
また、担保主義ではなく、将来の収入(キャッシュ)主義にパラダイムが転換、言い換えれば今日の価値ではなく、明日の価値に注目すべきと移行していった。
そして、バーチャルに膨れ上がることは、いつか崩壊するってことも。

■魔法のごとくバーチャルに膨れ上がること

この最後に述べた、まるで魔法のごとく錬金術のごとくバーチャルに膨れ上がることを、では簡単に説明する。

A社、B社という2つの会社がここに存在。
いずれも、資本金1円、資産は現金1円で設立(バランスシートが判る人は、借方=左側が現金1円、貸方=右側が資本金1円となる)。
A社は保有している現金1円で、B社が新規に発行したB社株式を購入。
結果、A社は、資産の現金がB社株式1円に代わり、A社自体の資本金はそのまま1円。
B社は、A社から入金した現金1円と元々保有していた1円を合わせ、合計2円の現金保有となり、資本金は元々あった1円に、A社が購入してくれた1円で計2円となる。

次に、B社は、保有している現金2円のうち、1円を、A社が新規に発行したA社株式の購入に当てる。
結果、B社は、資産の現金が2円から1円に減少し、その代わりA社株式1円が資産として加わる。B社自体の資本金はそのまま2円。
A社は、B社から入金した現金1円と元々保有していたB社株式が資産となり、資本金は元々あった1円とB社が購入してくれた1円の合計2円となる。

以上の結果、A社の資産は、現金1円+B社株式1円=2円。資本は2円。
B社の資産も、現金1円+A社株式1円=2円。資本も2円。

どうだろうか?
現金1円、資本金1円でスタートしたA社、B社ともに、何も生産していないのに、資産は2円、資本金も2円に膨れ上がった。
これが、バブルであり、バーチャルな膨れ上がりの魔法である。

■金融機関が進めている株式持合い

ここで話を元に戻し、金融機関の株式持合いについて述べる。
2001年3月末時点で、大手銀行と保険会社は、2兆円以上の資本(株式)を持ち合っていたが、この2002年3月末時点で約1割程度増えているようだ。
大手生保は2001年度に4千億円程度を銀行から、大手銀行は2千億円以上を生保から資本増強として資金を受け入れている。

彼らは、不良債権処理の増加に伴う自己資本の減少を防ぐのが狙いで、このような資本の持ち合いを加速させている。
上述したA社を銀行業界全体、B社を保険業界全体で見ると非常に判りやすい。
お互いに、資本金が増え、結果的に財務体質が改善(=自己資本比率の向上)したように見える。
でも、所詮はバーチャルに膨れ上がっているだけ、バーチャルに増強されただけである。

■崩壊のシナリオ

では、バブル崩壊はどうやって起こったのか?
これも上述したA社、B社の例で説明する。
資本持合後のA社、B社、共に保有資産は現金1円+株式1円。資本金は2円。
ここで、B社が保有していた現金1円を、ベンチャー投機にあて、そのベンチャーが倒産したとする。
すると、B社の資産は、株式がゼロ円となるた、現金の1円のみ。資本金は現金1円にあわせるため、2円から1円に減少。

結果的に、A社が持っているB社の株価も、B社自体の価値が半減したので、同じように半減する。
これがスパイラル的に加速していったのが、バブルの崩壊である。

■もう一度金融機関の持ち合いに

このスパイラルを、先ほど述べた金融機関の持ち合いに当てはめると、至極怖いことがわかる。
表面上、経営が健全化したと表明している金融機関だが、どこか持ち合いをしている生保が一社でも倒産すると、それをきっかけに持ち合い株式の価値が急落し、お互いが砂上の楼閣のごとく崩壊していく。

現に、この現象を察知している主要国の金融監督当局(バーセル銀行監督委員会)では、「非常に危険な行動であり金融健全化に逆行する」と警告している。

■ITベンチャーと同じ

ITベンチャーも同じことをやって崩壊したのである。
ベンチャー企業同士がお互いの株式を持ち合い、株価を高めていっった。
誰かが裏切ったり、あるいは誰かが倒産でもしたら、それが一瞬にして崩れていったことは、記憶に新しい。
これを、日本経済を支えていると自負している大手金融機関が、表面上の健全化を示すために行っているのだ。
少なくとも、ベンチャー企業の経営を指導していると誇っている金融機関自体が、その指導結果による失敗と同じ事を自らやっている。
これでは、金融機関同士が共倒れになるばかりではなく、日本経済、あるいは我々の生活自体も共倒れになってしまうリスクを含んでいることを、忘れてはならない。

■最後に
しょせん、株価の吊り上げにしろ、株式持合いによる表面上の健全化にしろ、砂上の楼閣ですよね。
上述したA社、B社でも、崩壊した後の本当の価値は現金の1円のみであり、投資株式の価値は無かったってことですから。
我々は、金融機関を指導するなんておこがましいことは言えませんが、まあせいぜい、自分の生活くらいは、地に足をつけて、バーチャルな膨れ上がりや表面上の取り繕いだけはやめましょうね。
それが、個人向けだろうが企業向けだろうが、CSO(経営参謀)として絶対に押さえていきたい基本原則です。




『M&A(統合)の難しさ=みずほ銀行の失態』  2002年4月9日 --vol.20

■お粗末な「みずほ銀行」の企業統合

皆さんにも被害を受けた方がいらっしゃるのでは。
新聞トップを飾っている「みずほ銀行」統合の際のシステム障害は、予想以上のトラブルとなっている。
今日は、このトラブルの内容はさておいて、企業の統合(M&A)の難しさについてお話しをする。

■企業の統合

最近、企業の買収や合併、いわゆるM&Aが大流行である。
過去、日本にもM&Aのブームがあった。
その1つが、バブル絶頂のころ、海外、特に米国での企業買収である。
例の、エンパイヤビルを買収した三菱地所とか、コロンビアを買収したSONYとかが有名。
いずれもが、「金で米国の魂を買ったジャップ」と揶揄されたし、悲惨な結果(業績)となってしまったことも有名。
その後、そのようなバブリーな企業買収はバブル崩壊と共に消えうせ、ここ2,3年前から、漸く本物のM&Aが日本にも増えてきた。
そう、銀行、鉄鋼、IT、繊維、いろんな業界でM&Aが繰り広げられ、また外人達も、特に破綻した日本企業の買収に走っている。
これら、企業の買収は、いずれもが2つ以上の企業や部門をくっつける、つまり統合という作業が必要となる。

■統合の難しさ

この「企業の統合」、言うのは易しいが、実際には非常に難しい作業である。
結婚は、二人の気持ちや生活、その他を統合するのであるが、これですら結構難しいもので、現に離婚率は急上昇している。
企業の統合は、二人どころか、何百何千何万人の従業員、数え切れないほどの取引先、幹部マネジメントなどの統合と、複雑多岐にわたり、結婚どころの騒ぎではない。
そう、人、物、金、情報(システム)の統合があり、それぞれがまた多岐に渡っている。
統合が上手くいかなかったM&Aは、単に1+1=2になるのが精一杯で、多くの場合は1+1が2よりも少なくなってしまう。
なぜか?
統合することにより、多くのコストが生じることと、統合による歪(ひずみ)が生じるからである。
多くのコストがかかると言うのは、統合に際し、その過程で統合前中後ともに、巨額の手数料や費用がかかる。
統合による歪(ひずみ)は、統合ということにより人的、システム的な不具合が生じる。
このように、統合の難しさを理解せず、あるいは克服出来ずに失敗した上述のようなM&Aでは、1+1が場合によってはマイナスにすらなってしまうのである。

■今回のみずほでは

では、今回のみずほ銀行の統合はどうだろうか?
その成否は神のみぞ知るであるが、まあ出だしから大失敗ということだけは確かである。
3万件にも及ぶ二重引き落とし、250万件にも登る期日内未処理取引など、「信用が第一」の銀行業務では考えられない大チョンボだ。
なんで、あれだけのエリート集団が、こんな大チョンボをしてしまったのだろうか?
いろんな原因や答えがあるだろうが、ここでは「統合の難しさ」についてのみ、概略を述べる。

■システム統合

その1つが、システム統合の難しさである。
統合前、勘定系というシステムにおいて、富士銀行は日本IBMに、第一勧業銀行は富士通に、日本興業銀行は日立製作所に、とバラバラに委託していた。
旧式のシステムにどんどん新しい機能を付け加えていった銀行のシステムは、そもそもがそれ自体で複雑である。
それを3つも統合させ、しかもそれぞれのシステム屋が異なるのでは、まあとんでもない困難さがあることは想像に難くない。
今年1月に統合したUFJ銀行(三和銀行等)でも18万件の決済ミスを起こしたくらいだから。
最近のM&Aでは、どんな企業でも複雑なシステムを所有しており、この統合をどうするかが、M&Aの成否を大きく左右していると考えられる。

■人的統合

次に述べるのが、人的な統合の難しさである。
みずほ銀行に統合された富士銀行、勧銀、興銀、ともにエリート集団であり、天下国家を語って日本の経済界の中心的役割を果たしていた。
そんな、プライド高い人々だから、まあ簡単には統合相手の言いなりになるはずは無い。常に自分が正しいと思い違いしている人も多いことだろう。
その1つの例が、上述したシステム統合の失敗にも繋がっていると思われる。

私の知り合いで興銀に勤めている者から聞いた話しだが、3行ともにシステム上の統合では譲らず、自社のシステムを統合後にも使うことで言い張っていたような気配もあるらしい。
それが理由とは言い切れないが、まあお互いに我を張り続け、結果的に統合にかける時間が無くなり、今回の悲惨な失敗を招いたと言い切る人もいるようだ。

人的統合の難しさは、本業にも露呈している。
その1つが、「投資銀行業務」と言われる、超エリート集団のお仕事。
3行ともに、外資に負けてたまるか、と、投資銀行業務、いわゆる証券化とか、ファンドとか、従来の銀行業務以外にここ数年、力を注いできた。
エリートの中のエリート集団である彼らは、統合が発表されてから、「統合後のみずほ銀行では、我々が証券化の中心となる」てな感じで、がんばってきた。
裏を返せば、統合相手は、最高のライバルであり、そのライバルを蹴落とすようなこともやっているケースがあったようだ。
これも知り合いに聞いた話しでは、同じ証券化という業務で、統合相手の悪口を言って帰るなんて、ザラにあったとのこと。

いずれにせよ、人的統合は、他の統合よりも、いや他の統合の上位概念として、最も難しい作業である。

■では、どうすれば人的統合は上手く行くのか?

この答えは永遠に見つからないだろう。
しかし、2つだけ言えることがある。
1つ目は、誰か圧倒的なリーダーシップを取れる人材が必要なこと。
今回のみずほ銀行でも、それぞれ3行のトップは、誰かが抜きん出ているってことはなかったようだ。
下手をすると、船頭多くして、となってしまう。

2つ目は、業務別に、これはどこの銀行が責任者だよ、と決める必要がある。
例えば、システム業は富士、投資銀行業務は興銀、法人営業は勧銀、などと、業務ごとに主導権を握る人や企業が必要だということ。
さもないと、常に内輪もめで労力を使い切ってしまう。

これら2つに共通することは、揉めた場合に誰が決めるのかということを決めておくこと。
さもないと、エリート集団に限らず、その統合は失敗するだろう。

■最後に

結婚生活もM&Aに似ていることは上述した通りです。
上手く行っている夫婦に限って、「洗濯は私の分担だけどゴミ出しは貴方よ」、とか「お金の管理は夫だけどお小遣いを決めるのは妻」、というように上手に役割分担をしているようです。
更に言えば、この部分は夫が秀でていて、この部分は妻が得意とする、ていうことを、お互いに認め合っています。
お互いに認め合えば、例え言い合いになっても、最後に決定権をどちらが持っているか、暗黙知として共通認識しています。
夫婦も、血みどろの喧嘩をしたり、冷めた関係にならないように、そして企業も同じですね。
では、また次回に!




『失敗から何を学び次に活かそう』 
 2002年4月1日 --vol.19

■新年度の事業
大半の企業が、本日から新年度となる。
昨年度、数々の業績をあげている一方では、その裏には多くの失敗事例も隠されていることだろう。
本日は、新年度の事業に是非ともこの失敗事例を活かして欲しいという内容。

■失敗から生まれるもの
どんな企業だろうが個人だろうが、前に進んでいる間には多くの失敗を犯す。
失敗自体は喜ばしいことではないが、100%避けて通ることは不可能であり、また失敗を恐れるようでは、何も新しい事業や展開は図れない。
というわけで、どの道、企業も個人も失敗をたくさんしてしまうのである。

それなら、どうせ失敗するなら、その失敗から1つでも多くのことを学び取り、次に活かす方が、何もしないよりは得であることは、言うまでも無い。
もう少し積極的に考えると、失敗という出来事からは、貴重なノウハウや体験を得ることが出来、これはなによりもの財産となる。

■例えば子供
例えば、子供達は転んだり怪我したりという「失敗」を毎日のように繰り返している。
転ぶという行為と体験から、「どうすれば転ばないか」、「転んだ場合はどうすればいいのか」を、本能的に学びとっている。
これは、失敗を自己防御に活かす事例である。

次に、ちょっと気弱な子供は、どうしてもいじめられ易い。
いじめられるというのも、子供の人生に置いて、ある意味では「失敗」である。
そんないじめられっ子は、たくさんいじめられた体験から、「どうすれば他人の無理難題を避けることが出来るか」を必然的に学び取り、更には「こうすれば他人は満足する」に至り、そして「他人を制御する能力」を養っていくケースがある。
成人して成功している人の中で、過去たくさんいじめられた体験を有している人が多いというのも頷ける。

■ではビジネスでは(新生銀行の例)
では、ビジネスでは失敗を活かしている事例としてどんなものがあるか。
ここで挙げたいのが、超エリート集団として金融界を牛耳っていた長期信用銀行が破綻し、外資リップルウッドに買収されて生まれ変わった「新生銀行」について。

新生銀行は、新たなビジネスとして「経営破綻したり経営不振に陥ったりした企業を対象にした、企業再生事業」を始める。
これは、破綻や不振企業を対象に、出資や運転資金を出すのみならず、経営ノウハウの助言などを通じ、これら企業の収益体質を高め、その後に株式公開して売却益を得ようというもの。
その第一号として、会社整理手続き中のノンバンク、エクイオンとアポロファイナンスの再生を手がけるらしい。

■失敗を活かそうとしている新生銀行
企業が経営破綻に至ることは、最大の「失敗」であることは言うまでもない。
新生銀行も、超エリート集団として金融界に君臨していたにもかかわらず、この最大の失敗を犯してしまった。
でも、さすがに超エリート集団である。
失敗は失敗でそのままにしておかない。
いや、失敗で学んだことを、新規ビジネスに活かそうとしている。

自らが経営破綻に陥った経験から、「何が破綻の原因となったのか」の原因究明を行った。
次に、「どうすれば破綻前後の法的処理がスムーズに進ませることが出来るのか」ということを、自己の処理の間に必然的に学んでしまった。
そしてリップルウッドの資本が入った後、「どうすれば破綻した自社を再生できるのか」を鋭意考え抜いている。

これら3点セットである「破綻原因の究明」、「破綻処理の手続き」、「処理後の再生」を、自社での強み(ノウハウ)に変えてしまい、新たなビジネスを取組んでしまったのである。

■通常なら
通常、企業は失敗すると、その分野からの撤退とか、責任究明のみに明け暮れ、せっかく「失敗」という貴重な体験から学んだものを、次に活かそうとしない場合が多い。
この新生銀行の例は、せっかく学んだ「失敗体験」を、次のビジネスのノウハウとして活かしている点が特筆すべきことである。

他にも多くの事例があるだろう。
バブル期の多額な不動産投資で失敗した企業が、あえて「不動産事業」を再スタートしたり、ITのネットビジネスで失敗した企業が、あえて「ネット関連のコンサルテーション事業」で成功していたり、海外の工場投資で大ヤケドを負った企業が、あえて「海外進出」を子会社化して外販したりーーーと。

■失敗を活かそう
以上のように、是非とも「失敗」という体験から、責任追及やその分野からの撤退という、反省ばかりしていないで、せっかく獲得した失敗体験を、ノウハウに転換させ次のビジネスに繋げて欲しい。
ありきたりの言葉だが、失敗は成功の母である。
但し、これは心がけ次第。
失敗から何かを獲得しようという心がけと、失敗のまま終わらせてたまるかという気概と、失敗の責任追及に明け暮れるNegativeな行動原則を辞めることと、更なる失敗を恐れる消極性を無くすこと、これが必要である。

■最後に
好きな人に何度もアプローチし、断られた結果、強くなっていく人と、弱くなっていく人がいますね。
ビジネスも同様です。
是非、昨年までに失敗したことを整理し、新年度の事業に、「失敗から獲得したノウハウや体験を活かした新規事業」を取り入れてください。




「ウォルマートから学ぶもの」
 2002年3月25日 --vol.18

■巨大黒船
世界最大のスーパー、「ウォルマート」が、大手スーパー「西友」を買収するという記事は、皆さん良くご存知の通り。
売上高28兆円は他業種を含め世界最大で、日本の大手スーパー104社の売上合計の約2倍。
売上高増加額約3兆円は、日本最大手のイトーヨーカ堂の連結売上高に相当。
しかも、売上高販売管理費比率16%というのは、ヨーカ堂の約半分。
約130万人という従業員数も民間最大。そんな黒船が、とうとう日本に上陸。

■ウォルマートから学ぶこと(その1)
では、ここでは、世界最大の黒船「ウォルマート」から、我々は何を学ぶべきかを、いくつか取り上げてみる。
その1つが、進出(上陸)のやり方。
ウォルマートは、まず西友に6.1%(約60億円)を出資する。当然この出資比率では、支配権は握れないがそれでいいのだ。
特筆すべき点は、当初6.1%出資した後、最大限66.7%(約2,600億円)まで出資比率を高める権利をウォルマートは有していることだ。
つまり、「西友、あるいは日本での事業の成功確率が高まった」と判断した場合、その確率の高まり具合に応じて、ドンドン出資比率を上げていくという手法。
これは、いわゆる「リアル・オプション」という経営手法の1つである。
リアル・オプションとは、あたかも事業投資を金融オプションと同じとみなし、「ある投資を今後進めるにあたり、その進めるための権利を有する」こと。
詳細は割愛するが、株のオプションと同じである。

西友を傘下に治めないと、経営権を掌握できず、日本進出の目的が達成出来ない。
かと言って、最初から2,600億円もの資金を投じるには、先が読めない現状、非常にリスクが高い。
そこで、将来傘下に治める権利を有しながら、当初の投入資金を押さえる、という至極メリットの多いやり方である。
まあ、そのために、当初の60億円は、オプションを買う料金、あるいは実験台を使う費用、くらいにしか見ていないだろう。

■学ぶこと(その2)
上述に関連するが、世界最大のウォルマートは、実は非常に慎重な企業である。
今回、正式に日本での事業化をスタートさせたが、実はかれこれ5年は事前調査をしてきた。
日本市場の難しさを、誰よりも認知していたのである。
60億円の当初投入金額は、売上高28兆円からすれば0.02%程度。そんな「はした金」ですら、投入するのに5年もかけている。
よく、「時間が勝負だ」とか、「ドッグイヤー」だとかがもてはやされているが、売上の0.02%を投入するのにこんなに慎重な進め方をしている企業が、世界一番になっているという事実を、よく噛み締めて欲しい。

■学ぶこと(その3)
絶対的な強さを有しているウォルマートは、その最大の強みが、取引先1万社との商品調達ネットワークであり、世界最先端の情報・物流システムである。
スーパー経営に必要とされるのは、その商品構成の中身であり、店員の態度でありといろいろあるが、最重要項目の1つが言うまでも無く「安さ」であろう。
この安さが達成できているのは、緻密で誰にも真似ができない情報システムやネットワーク。
安さの証として、日本のスーパーで「ジョイフル」といのがある。
ここは、米国に子会社を設立し、ウォルマートの店頭から定期的に商品を買い付け日本に送り込み、日本でその商品を売っている。
それでも利益が出るそうだ。

■学ぶこと(その4)
経営陣の姿勢は是非学んで欲しい。
ウォルマートの社長や経営陣は世界中を飛び回っている。
その際、使う航空機はエコノミークラス、宿泊は相部屋とのこと。
日本では、マヌケ社員ですら「いい飛行機に乗せろ、いい部屋に泊まらせろ」と権利ばかり言うし、経営者は、たかがゴルフに行くだけなのにビジネスクラスに乗り、セミスウィートに泊まるのを当然としているアホンダラが多い。
世界一のウォルマート経営者は、エコノミー&相部屋ということを忘れずに。

■学ぶこと(その5)
従業員やパートを、分け隔てなく扱っている点も学んで欲しい。
ウォルマートでは、パートタイマーにも、いい働きをしていればストックオプションを与えるし、昇進も正社員同様可能である。
多くの日本企業のように、タバコばかり吹かしている社員が、パートタイマーを見下してこき使っているなんて例はゴマンとなるが、ここではそれは無い。
あくまでパートタイマーは、社員より能力が無いのでそれに甘んじているのではなく、ライフスタイル上、それの方がいいということで選んでいるだけ。

■学ぶこと(その6)
ともかく、ウォルマートは他人から学ぶのが上手い。
誰もが世界トップクラスになると、「我が社は一番だ、俺は何でも知っている」と学ぶ姿勢が無くなってくる。
でもウォルマートは、例えライバルであろうと、学べると思えば、世界一のプライドを捨ててでも姿勢を低くして教えを請う。
独創は無からは生まれず、優れた技術やビジネスモデルは他人から吸収するなかで醸成されるということを十分に理解している。

■学ぶこと(その7)
上述に通じるが、相手からノウハウを吸収しようという意識が高いので、無理矢理、自分のやり方をゴリ押ししたりはしない。
多くの大手企業は買収した企業に自分のやり方をゴリ押しするし、多くの外資も同じである。
しかしウォルマートは、世界一番にも拘わらず、ゴリ押しはせず、むしろ傘下企業から学びとる姿勢を崩していない。

■まとめると
1、リアル・オプション手法による投資戦略
2、慎重な事業進出
3、絶対的な強みを有すること
4、経営幹部の経営への姿勢
5、分け隔ての無い社員活用
6、優れたものを学ぶ姿勢
7、ゴリ押ししない姿勢
を、是非学んで欲しい。

■最後に
日本の経営者さんよ、
1、リアル・オプションって知ってますか?まさか、大企業の経営者たるもの、知らないはずは無いですよね。
2、事業化の前にどれだけ検討していますか?まさか「他社がやっているから、コンサルが推薦したから」が決め手にはしてませんよね。
3、何が自社にとっての絶対的な強みかを知っていますよね、またそれの強化を繰り返していますよね。
4、いまどき、ゴルフに行くのに、黒塗りハイヤーやビジネスクラスを使うなんてことはしていませんよね。泊まるホテルも社員と同じレベルですよね。
5、まさか、パートだから、若手社員だからって、差別したり、最初から見下したりしていませんよね。
6、自分が一番なんて、まさか考えてもいませんよね。
7、当然、傘下企業や下請け企業に、ゴリ押しなんて、奴隷時代みたいなことはしてませんよね。
そして、ウォルマートの日本進出に関し、少なくとも学ぶことが10通りくらいは自分で考えて思いつきましたよね。




『自分のための得意技を他人のために使おう』
  2002年3月18日 --vol.17

■得意技を商売(ビジネス)に

企業や個人は、自社(自分)の得意技を使って商売(ビジネス)をやっている。
この得意技を最近の言葉で置き換えると、「コア・コンピタンス」となる。コア=核となる、コンピタンス=強み・得意技。
これは、ビジネスの基本動作なので、ここであえて述べる必要も無い。
述べたいことは、「自社のためにしか使われてない得意技を、第三者に提供しよう」ということ。
あるいは、「自社(自分)では気が付いていない得意技=活用されていない得意技を、新規ビジネスに結びつけよう」とも言える。

■自社のための得意技
では、自社のための得意技とはどんなものだろうか?
ここで典型例を挙げてみる。

世界トップの製鉄会社に「新日本製鉄」という企業がある。
本業は言うまでも無く、鉄に関する商品を製造販売。
この、「お堅い」企業が、IT企業として大成功している。行っているのは「オープン系システムインテグレータ」とでも言おうか、あるいは、システムに関しての顧客へのソリューションの提供とでも言おうか。

なんで、「お堅い」鉄屋さんが、先端のIT企業やシステムインテグレーターで成功したのだろうか?
その答えが、ここで述べようとしている「自社のための得意技を新規ビジネスへ展開させた」のである。

日本の鉄鋼メーカーは、その製鉄技術は世界水準トップで、中国のメーカーが100人かけて製鉄するところを、一人か二人で行っている。
この省力化と、高い技術水準をキープするために、長年にわたって、工程管理や技術チェックなどに関しての情報技術を開発・発展させてきた。
鉄鋼メーカーに行くと、広大な工場に熱い鉄の製品が流れているが、それを、ミリ単位で、秒単位で、グラム単位で、間違い無く、オートメーション化させる必要があるのだ。

新日鉄の「情報技術」は、このように、鉄を作るために、そしてその省力化と高い技術水準のために、開発・発展させてきたのであり、あくまで「鉄を作るため」が目的。

当然、新日鉄の社内でも、「鉄を作る人」や「鉄を売る人」が脚光を浴び、その裏方である「情報技術の人」は日の目を見ていなかった。
かかる中、ある情報技術担当者が、社外のシステム屋(NECやユニシスみたいな企業)に、自社工場の管理システムについて相談をした。
そして出てきた回答を見てビックリ。「これは、俺が知っているソリューションの水準より相当低いな。相手は専門家のはずなのに」となった。
この担当者は、「こんな低い水準でも世の中で多額の売上があがっているのだから、我々も、持っている情報技術を外販しよう」と考えた。

途中は割愛するが、こんな経緯により、「社内のために使っていた情報技術を、社外向けに提供し、新規ビジネスを立ち上げた」という物語。

■その他の事例

新日鉄は大成功した事例だが、最近このような考え方で新規ビジネスを展開しようとしている企業が続出している。
その1つが、皆さんよくご存知のユニクロ。
ユニクロの得意技は、工場から店頭までのモノと情報の流れを一元管理する製造小売(SPA)手法。
このSPAの流れの中で、どこを押さえれば利益を出せるのか、そのツボをよーく心得ている。
このツボを押さえるという得意技を、あの爆発的なフリースなどの商品を、ビックリするような格安で提供することに使っていた。

でも、ここに来て大幅な売上減少に苦しんでいる。
そこで、この「ツボを押さえる」という自社のための得意技を、同じ衣料業界で使えないものか?
で考えついたのが、企業やお店のユニフォームの製造。
ユニフォーム製造のモノと情報の流れを分析し、外部工場への生産委託を内製化することがツボであると気が付き、大幅なコストダウンに成功、既に2,000件の受注があるとのこと。

同じような例では、あの大塚家具がある。
大塚家具の得意技は東南アジアからの商品調達力。この調達力に必要なものの1つが現地工場での生産指導。
従来は、この得意技を、自社の家具の販売に使っていた。そう自社の商品をより安く、よりいいものに仕上げ、それを販売するために。
これを、他社のために使ってみようということで、豪華客船、ホテル、レストラン、オフィスなどへの内装というビジネスを開始した。
他社の家具やその内装のために、「現地での商品調達力と、生産指導」という得意技を、商売にしちゃったわけ。

ヤマダ電機は、小規模事業者向けに、パソコンの故障時の対応とか、業務用ソフトの選定とかの相談に乗ってあげるビジネスを始めた。
従来、ヤマダ電機にいる売り子達は、もともとパソコンなどに詳しい人が多く、また「自分の店頭にある商品を売る」ために、その知識を増やしていった。
そう、商品を売るための手段として。
この知識という得意技だけを切り出し、他人に提供しちゃおうってわけ。

パルコは、自分のファッションビルを運営するために、それに関する専門家を多く抱えている。
あくまで、自社のために。
これを、ファッションビルを展開する他社に、コンサルティングという形で、サービス提供することを開始した。
中小のビルオーナーにとってみれば、本来は競合相手であるパルコから、優良なサービスを受けられるのである。

■個人でも同じ

この「自分のための得意技」は、企業だけでなく個人でも同じである。
成功したベンチャー企業家の何割かは、この考え方で起業した。

例えば、「ロシアのカメラ」のネット販売で成功したベンチャーがいる。
元々彼は、サラリーマン時代にロシア製カメラに取り付かれ、趣味にしていた。
ちなみにロシア製カメラは、その「性能の悪さ」から、セピア的な写真を撮るのには最適だとか。
そんな彼は、「趣味という目的のために蓄積された得意技」を商売にしちゃった。

同じような例は、「電車マニア」、「ゴルフのシングルプレーヤー」など多く見受けられる。

あるいは、特段「自慢出来る」得意技がなさそうな、普通のサラリーマンでも必ず得意技がある。
例えば、私の知り合いに「個人向けのコンサルタント」として成功している者がいる。
元々彼は、ある大手自動車メーカーの営業マンだった。
かなりの成績を上げていた彼は、「お客様の心を捉えることと、お客様に心を開かせる」という得意技があった。
この得意技は、あくまで「それによって、車を販売すること」のために使っていたのである。

これを「車のため」以外に「外販しちゃおう」と考えたのが個人向けのコンサルタント業。
心を捉え、心を開かせることが、個人の悩み相談や、それに対するアドバイスには、絶対必要条件であることは言うまでも無い。
そして今では、引きこもり症候群の人々に、コーチングという手法で、コンサルテーションを行っている。

■必ずある活用されていない得意技

以上の例を参考に、皆さんも「会社の」、あるいは「個人の」得意技を、もう一度棚卸してみては如何だろうか?
本業のために、趣味のために、家族のために、自分のために、何かをやるために必要とされてきた得意技、蓄積されてきた得意技は、結構自分では気が付いていない場合が多い。
そう、駅に向かって歩いている時に、あくまで駅に着くために足があるのだが、その足の存在に気が付いていないように。
是非、得意技の棚卸をして、別のビジネスに活かしてみよう。

■最後に

そんな私も、最近棚卸をしてみました。
結構、棚には、いろんな得意技があったことに気が付いたのです。
そして、売れる商品は何かな?と考えるだけで、結構楽しいですよ。




「資格について考えよう」
  2002年3月11日 --vol.16

■しょせん資格、されど資格

日本には3,000とも4,000とも言われる資格が存在する。
これだけあるが、まあ、資格なんて、しょせん単なる看板、名刺代わりであるとも言える。
そう、高級イタメシ屋に行く時に身に付ける質の高い服装みたいなもの。

されど、やっぱり資格とは、価値のある、何にも変えがたい個人資産であるとも言える。
そう、イタメシ屋のトップ・シェフから賞賛され、オリジナルメニューを作成してくれるような洗練された舌(味覚)みたいなもの。

■単なる看板である資格

では、前者の「所詮資格なんて単なる看板・名刺」からお話しよう。
皆様、よーく周りを見回してみて。
すると、何とも多くの有資格者と拘わっているのだろうと痛感すると思う。
医者、教師、弁護士、不動産鑑定士、証券アナリスト、針灸士、テラピスト、ゴルフレッスンプローーーー。
その中から、「感謝しても余りある」という人を何人思いおこすことが出来るだろうか?

あるいは、直接自分の生活に関係の無いビジネスに関しても、そう感じる事象を耳にしているはずだ。
不動産のプロである不動産鑑定士の中で何人が、バブル崩壊による土地暴落を予測出来たのであろうか?
株式投資や企業分析の専門家である証券アナリストは、何をアナライズ(分析)してきたのだろうか?
マイカルの格付けを倒産直前まで投資適格(BBB)と判断していた格付けの先生は、何の専門家なのだろうか?
TOEIC850点の奴が全く米国人に仕事の交渉が出来ていないことなんてたくさん遭遇するだろう。
MBAを取得した秀才君がベンチャー経営に失敗した例なんて枚挙に暇ない。

私も仕事柄、多くの有資格者と会うが、弁護士、会計士、アナリスト、MBA、税理士、共にせいぜい数人程度しか「この人はすばらしい」という有資格者は居ない。趣味の世界のゴルフレッスンプロや、遊びの世界のワインアドバイザーも同様。

というわけで、資格を持っていても、所詮そんなものは看板くらいの価値しか無く、「形だけ」、「外見だけ」の姿にあぐらをかいてしまっているマヌケな有資格者がゴマンと居るってこと。
そう、高級イタメシ屋に行くために、ゼニアのオーダー・スーツとブルガリの時計とフェラガモの靴とコーチのバックその他で、計100万円を身に付けているが、人格が全く追い付いていないオツム空っぽの成金と同じ。

■価値ある資産である資格

やっぱり資格は個人資産としては不動産や現金なんかに比べ、非常に価値のある資産であるとも言える。
その1つが、言うまでも無く「ある専門性の高い知識を有している」からである。高い専門性を有することが、この個人コンペティションの激しい時代に求められていることは皆さんが一番良く知っているはずだ。

次に、「ある目標に対し、それを達成するための努力と、達成出来たという成功事例」ということを、第三者に証明出来ること。
やっぱ、何事も言うは易しでやるは難し。いくら「俺は走ると速いんだ」とか、「私はやろうと思えば出来る」と気張っても、国体の一等賞者とかゴルフのシングルの方が証明し易い。特に、この「達成するための努力」を有している人物であるってことが大切。この努力を有してない限りは、一般的な仕事だろうが家庭だろうが、まあ全てをテキトーにやってしまう奴である可能性があるから。

更に、「やり遂げた」という自信を身に付けることが出来るのが大きい。
誰でも簡単に取得出来たり、金さえ払えばほとんどOKな資格も多くあるが、「相当お勉強をしたり、鍛錬したりする必要のある」資格を取得すると、それは自分に対し、大きな自信となり跳ね返ってくる。

そして最後に「資格の持つ知識やその分野での他人との出会いにより、自己の知識や人脈が格段に急速に広がっていく」ということ。
ある資格の知識をそこだけの範囲で留めておくのではなく、それをテコに知識を拡大することが、資格の無い人と比べて非常にやりやすいのである。
人脈も同じで、有資格者同士の集いはもちろんこと、他の資格でもどうしても有資格者同士を認め合いという習性が人間にはある。
和服職人が建築のプロを認めるのと同じ原理。

というわけで、資格を有していることは、それだけで個人資産としては非常に価値のあるものだし、またその価値を加速度的に高めていくことが出来る。
そう、人格やマナーが伴い、質量共に高級イタメシ屋にフィットしている人物として、トップ・シェフから共感を受け、オリジナルメニューを作成してくれるような美食家と同様に。

■では、資格とは

資格には表裏があるってことは理解してくれたと思うので、ここでは、そんな皆さんのために、簡単に「資格とは」についてもう少しためになることを説明する。

まず、資格にはいろんな分類の仕方がある。
その1つが、業務独占資格と、検定資格という分類。
業務独占資格とは、ある仕事につくには、その資格を有していることが必要な資格で、例えば化学工場を管理する人は危険物取扱者を、不動産屋を開くには不動産鑑定士を、医者や弁護士事務所なども同じ。
検定資格とは、その人物の能力を評価し、どのレベルにあるかを認定する資格で、IT能力を証明するMCPや、英語レベルを証明するTOEICなど。

次の分類が、国家資格、公的資格、民間資格という分け方。
国家資格は法律に基づいた国が実施している資格で、公的資格は国家ではないが官公庁などが認定・後援している資格で、民間資格は民間団体が勝手に作った資格。
ここで気をつけて欲しいのが、国家資格や公的資格は価値あるが、民間資格は無い、という風に思わないこと。
国家や公的資格の中には、役人の天下りを目的にしたり、企業を縛り付けることを目的としている、何の価値も無い資格がたーくさんある。
逆に、民間資格で、広く認められ、取得するのが非常に困難だが、取得すれば非常に価値の高い資格が、たーくさんある。

そして、資格の意味合いということでは、自分のための取得するという意味合いと、他社(企業や第三者)向けを目的に取得するという意味合いに分類出来る。
自分のためというのは、「資格の取得を目標として掲げることにより、その試験日に向けて特定分野の勉強や努力を自分に強制的にさせる」ということ。何事も目標が明確に見えているほうが、それに向かって努力しようと思うから。
他社に向けてというのは、「実績として結果を残し、赤の他人が見てもそれを証明出来る」ということ(上述した繰り返しとなるが)。
学校の単位、野球大会の優勝などと同じ。

■資格に対する意識の持ち方

以上、説明したことをもう一度頭で整理して欲しい。
そして、資格に対し、次のような意識で接したいものだ。

まず、何の資格も有していないビジネス・ピープルへ。
やはり、何か1つ位は資格を取ることにチャレンジすること。
何も、資格が無いと仕事が出来ないとか失格者なんて言っているのではない。
上述した通り、資格を取るための努力をするってことと、その結果の実績の証明は、何よりも大切である。
アホ面こいて、毎晩、同僚と飲んだくれていたり、股を広げて電車でマンガ本を読むのもいいが、現実逃避せずに、是非努力を怠らないで欲しい。絶対に、生活に張りが出るはずだ。

次に、既に資格を有している人へ。
資格はゴールでは無い。あくまで通過点だ。
MBAを取っても、弁護士になっても、何も偉くないし、何も生まれない。
ベンチャー企業が上場するのと同様、あくまで、あるプロセスの通過点であり、スタートラインに立っただけである。
是非、資格というものをテコ(レバレッジ)に、自分の知識や専門性を高め、人脈を広げ、人格を良質化して欲しい。
私の場合、証券アナリストを取得した理由は、その取得自体を望んだのではなく、アナリストの専門性が、企業投資や分析のみならず、企業の経営、経済動向の判断力を養い、更には物の考え方の基礎体力を付けてくれると思ったからである。

そして、有資格者を利用する立場の人へ。
有資格者には表裏があること、上述の通り。
盲目的に有資格者を信じるのもヤバいが、されど有資格者にはそれなりの専門性や人格が伴っている確率は、無資格者よりも高いことだけは間違い無い。
そんな中、この有資格者を選ぶためのポイントはただ1つ。資格に関する専門性以外の話がどこまで出来るかである。
専門以外の話を柔軟にこなし、利用する側の貴方の立場を、瞬間的に判断出来る、という人物が、選ぶポイントである。決して資格の数でも、業歴でも、年齢でも、事務所の大きさでも、料金でも無い。

■最後に

いくら高級服に身を包んでも、高級イタメシを食べる資格が無い奴が多くいますね。
そしてそんな金持ち成金を、皆さんは軽蔑して見ていることでしょう。決してそんな資格者にはならないで下さい。そしてそんな資格者には仕事を依頼しないで下さい。
逆に、人格品格抜群の質の高い人に対しては、いい料理、いいワインを出してあげたくなりますね。是非、そんな資格者になって下さい、そんな資格者に仕事を依頼して下さい。




「Say YESから入ろう」 
 2002年3月4日 --vol.15

■「Say YES」から入ろう!

何事も、「Say YES」から入ることが、今の時代には求められる。
Say Yesとは、「いいよ」、「OKだよ」、「検討しようよ」、「前向きに考えようよ」など、他人からの依頼や質問に対し、肯定から入ることである。
もちろんこれは、全ての事柄や依頼に対し、何でも鵜呑みにしOKするという意味では無い。

そうじゃなく、まずは肯定し、その上で「でもこういう条件があるよね」とか、「OKだけど結構難しいね」など、何かを付け加えての肯定である。
つまり「Say YES, but------」=「OKね、でも----」ということ。

■「NO」から入ることのデメリット

何故このようなことを述べるかと言うと、この世の中、まずは「NO」=否定から入る人々が多すぎるからである。
「NO」=否定から入る最大のデメリットは、言うまでも無く、話がそこで終わってしまうことである。
話がそこで終わってしまうってことは、進展や発展、新たな出来事や企画は100%生まれない。
100%生まれないということは、良くて現状維持だが、このような世の中、殆どの場合が何事も現状よりは悪化・劣化していく。

「NO」と言うのは「YES」と言うのと異なり、回答は簡単、リスクも負わない代わりに、このようなデメリットが生じる。

■「NO、NO」人種の大量発生

このような「NO」=否定から入る人々は、現状のような不況や、ビジネスが複雑化している、あるいはドックイヤーと言われる時間軸の速まりという環境下に、どうしても大量発生し易い。

例えば、このような「NO、NO」人間が皆様の周りにも発生していることでしょう。
部下A;「このような新規事業を立ち上げたいのですがどうですか?」
上司B;「NO、そんな新規の事業なんて、顧客が受け入れるはず無い!」

人事C;「やる気のある社員にインセンティブを与えるために、給与体系を変えましょう」
幹部D;「NO、そんなことやったら脱落したり給与減となる高齢社員が出てしまい、問題だ」

民間E;「この分野は是非とも規制緩和すべきです」
行政F;「NO、規制緩和したら仕事を奪われる企業が出てくる」

株主G;「雪印乳業の再建には、外資・外人の力を借りよう」
官僚H;「NO、外人なんてドライなので、農家が苦労するだけだ」

これらは皆、検討すらしないで、一発回答の「NO」の場合が多い。

そして、もう1つの「NO」人間は、とりあえず立場上検討している姿勢は示すものの、結論は最初から「NO」とし、何とかその提案を却下することを目的としちゃう人々。
ある新規案件を社内の稟議に上げたとする。多々議論している中で、必ず「重箱の隅を突っつく人」がいるだろう。
議論の段階にもよるが、そんな枝葉末節な、重箱の隅のことを、声を大にして吠え、「なんだ、そんなことも解決してないんじゃ、この案件は却下だな」と目的を果たしてしまう。

例えば、今国会で騒がれている田中真紀子と鈴木氏のやり取りに対しての野党がそうだろう。
野党の目的はただ1つ、国会審議の中での、与党の案を潰し、却下し、自分の政党を優位に持っていくこと。
本来の国会目的が、予算審議であり、更には日本国の再生なのに、そんな一人の政治家のスキャンダルを論じている場合ではない。

■何故「NO、NO」人種が大量発生するのか?

上述したように、不況という悪い状況の中、ビジネスが複雑化し、時間軸が速まっているという背景が大きな事由である。

もう1つの事由は、長らく日本の国が、年功序列主義、組織の肥大化による官僚主義に陥ってしまったことである。

もう少し簡単に言おう。
ビジネスの複雑化によって、いろんな新規事業やビジネスモデルが生まれているが、その動きについて行けない中年層が増えてきている。。
付いて行こう、理解しようという努力すらしない幹部も多い。
そして、なまじ「YES、よっしゃ検討しよう」なんて言って、難しい問題に巻き込まれるよりも、「NO」と回答して、そこから逃げる方が楽になるので、否定から入ってしまう。

次に、時間軸が速まっているということは、ある提案に対し早急に検討をし、なるべく早く回答をする必要がある。
その為には、ガード下で飲んだくれている場合じゃなく、ガード下の代わりにデスクで、酒や焼き鳥の代わりに資料やPCで、夜中までお仕事をしなくちゃならない(帰宅する時間は同じなんだけど)。大量の資料を集め、精査し、ブレインから意見を聞き、同僚部下とMeetingを開きーーーとね。
そうなると、やっぱ焼き鳥ガード下の方が全然楽なので、どうしてもそっちに逃避したいという気持ちが生じ、否定から入ってしまう。

そしてもう1つは、何と言っても、否定から入ることは、答えが簡単だし、リスクを負わなくって済む。
「YES」という回答に対しては、必ず付帯条件があることは上述した通り。「YES, but---」の「but---」の部分を考えて回答しなくちゃいけない。
当然、答え一発「NO」の方が簡単なのである。
リスクという意味でも、「but---」の条件が満たされたら、YESということで案件や提案(の少なくとも検討)を前に進める義務が発生する。
進めるということはそこにリスクが発生するのである。

最後に、「NO」と言えば、相手を窮地に追い込んだり、自分のミスを隠したりすることが出来るからだ。
上述した野党がそうである。「NO」は相手の発言を否定することだし、相手の立場を追い込むことに通じるからだ。
(もちろん、ビジネス上、戦略的に、交渉上有利に運ぶために「NO」と言って相手を追い込むことはOKだけどね)

■話変わって、子供達は!

何故YESがいいかと言うと、話が前に進むからとか、進展や発展があるからということは上述した通り。

これを、子供の成長に当てはめてみよう。
(変な教育を受けていない)子供達は、そりゃ、何事にも興味津々だし、前向きな姿勢を持っている。
不思議なことがあると「なぜ?なぜ?」を繰り返すし、危険と思われるような所にも果敢に冒険を試みる。
つまり、「YES」から入っているのである。「なぜなのだろう。ここはNOで諦めないで調べてみよう」、「ちょっと危険だな。でもNOで止めないで行ってみよう」である。

この姿勢があるから、子供達はいろんな経験をし、成長していく。
もし、こんな子供に、過保護ママが「駄目よ」、「NO」、「危険よ」ばっかりで、全て否定していたらどうなるだろうか。
当然、その子供には成長が無く、大人の資質や直感を備えていない、やばい大人になってしまう(そんな大人が多いのも現実だがね)。

■だからこそ、「YES」から入ろう

繰り替えずが、「YES」と言うには勇気が必要だし、リスクが生じる。
でも、リスクの裏にはリターンがあること、あるいはリスクが無い場合にはリターンも無いことを、最後に言いたい。
このリターンとは、企業であれば業績UPの可能性とか、新規事業進出の可能性とかであり、人間個人であれば、評価されるとか成長するとか、あるいは自己実現に向かうこととかである。

■最後に

そんなもん、判りきっている、と言っている貴方、その貴方こそ「NO」から入っていることを忘れないで下さい。
「NO」と言っている限りは、自己成長も事業成長も何もないですよ。
「YES」と言っている限りは、常にチャンスが転がっているし、いつか幸運が訪れますよ。





『グローバル・スタンダードから日本スタンダードへ』
  2002年2月26日 --vol.14

■エンロン破綻
米国最大手のエネルギー会社「エンロン」の倒産劇は、いろんな角度から議論され、記事として取り上げられている。
日経新聞4紙だけでも、この1ヶ月間で86件もの記事を出しているくらいだ。

エンロン破綻について、疑惑や、ビジネスモデル崩壊など、その議論の的になっていることは一般メディアに任せるとして、ここでは「何がグローバル・スタンダードだ」という観点と、「人間の強欲さ」についてお話をする。

■グローバル・スタンダードの押し売り
世界の経済を引張っている(と彼らが言っている)米国の、得意とするものがグローバル・スタンダード(以下「G・S」と省略」)だ。
この言葉は、いかなる政治・経済に対しても、水戸黄門の紋所のような効き目がある。
何かあると、「我々はG・Sを推進しているから常に勝っている」と自信ありげに誇り、「この会社はG・Sに合ってないので直すべきだ」とか、「お宅の国はもう少しG・Sを取り入れるべきだ」など、押し付けがましく言ってくる。ホント、これって、自信過剰な人種の余計なお世話である?
余計なお世話だけなら、まだ左から右に聞き流しておけばいいのだが、その介入の仕方と言ったら、もう殆ど強盗と同じ。
「おい、これに従わないとお前の命は無いぞ」ってね。

■G・Sの内容とは
では、米国が誇るG・Sの内容とは何か?
いろいろあるが、ここではその主要な二つを取り上げる。
1つは、Transparency(透明性)とDisclosure(公表)で、もう1つが金融技術(Financial Technology=FT)と情報工学(Information Technology=IT)

■透明性と公表
1つ目の透明性と公表について。
平たく言えば、企業は、全てを公表し、透明性を確保すべきということ。
つまり、株主や債権者、取引先、従業員、地域など企業の利害関係者に対し、何一つ包み隠さず公表(Disclosure)し、企業を透明(Transparency)にすることが、G・Sの基本ということ。

■FTとIT
2つ目のFTとITは皆さんよくお分かりでしょう。
FTとは、証券化とかファンド、デリバティブなど、特殊な金融の技術を用いて、ある資産を複雑な金融商品に作り変えること。
ITは言うまでの無くネットやWeb、あるいはECやSCMなどなど。

■エンロンで露呈したこと
この透明性や公表と、FTやIT、それが米国の誇るG・Sだが、これが今回のエンロン事件で、もろくもボロが出てしまった。
エンロンの幹部が粉飾を包み隠し、その監査をすべき世界トップの会計法人(アンダーセン)がそれを更に隠し、そんな悪事を見つけるのが仕事のSEC(米国証券取引所みたいなもの)が、見抜くことが出来ず、一般市民の多くが多額の被害を受けてしまった。
透明性や公表のための基準が米国には、分厚い本が何十冊分もあるが、そんな厚い壁なんていとも簡単に崩してしまったのだ。

また、世界最高水準のFTにしたって、数年前に破綻したヘッジファンド(ロングタームキャピタル)や今回のエンロンは、その米国でのトップのレベル、多くの博士を抱えている。
が、計算上では損することがありえないFTを使ったにも拘わらず、巨額の損失を計上している。

■ホントのG・Sとは
自慢気に誇っていた米国のG・Sが、見事に崩壊した中、ホントのG・Sとはどんなことなのだろうか?
答えは簡単、そんなもの世界中捜したって、有るはずが無い。そもそのG・Sなんて存在しないのだ。

だって考えてもご覧、1つの国だけでも複数の民族がいる世界各国。100国以上を、1つの基準(G・S=グローバル・スタンダード)に縛り付けること自体が不可能だ。
1つに家族だって、会社だって不可能だよね。
それぞれに個性があり、それぞれに特徴があり、カルチャーが異なり、利害の方向が違っている中、1つだけが正しい、なんてこと、あるはずがない。

それを、「自国の利益に結びつくこと=G・S」と言っている米国が、強引に1つのG・Sに纏めさせようしているのである。

■では、我々は
では、どこに行くべきか、誰の真似をすべきかわからないでいる我々日本人は、米国のG・Sが崩壊しちゃったら、どこに向かえば、誰に従えばいいのだろうか?
それは、最近良く言われる言葉だが、「自立すべき」なのである。
基準(Standard)は、そもそも、自国が自国のアイデンティティを確立するための手段であり、通り道である。
それくらいは、自分でやろうよ。誰の真似をするでも無く、日本人だけで。

こんな事を言うと「まだそんな考え方なのか! それではどんどん世界から遅れるぞ」と、お嘆きの人もいることだろう。
でも、それは違う。
例え、周回遅れでスタートしても、必ず自力をつけているので、いつか追いつき追い越す。
人にぶら下ってスタートし、途中で息切れするとか、ぶら下った相手が倒れてし
まうよりも、よっぽどリスクも少ない。

■最後に
というわけで、これだけ成熟した日本人たちよ、そろそろ我々だけでジャパン・スタンダードを作りましょうね。
家訓や社訓も、事業のVisionやMissionも、恋人同士の取り決めも、それぞれがその範囲内での基準です。
恋人とお付き合いするのに、あるいは家庭のあり方について、他人にとやかく言われるほど、シャクなことはありませんよね。




「人生にはシナリオを」
 ーー2002年2月20日 vol.13

▲人生の目標
人それぞれに、人生目標というのがある。
「偉くなりたい」、「社長になる」、「NGOで海外に行く」などなど。
でも、多くの目標が、やや堅すぎるということと、やや漠然としている、という特徴がある。
よって、なかなか目標に到着出来ないとか、あるいは到着する道筋に沿って歩んでいない、ということが生じる。

▲人生のシナリオ
では、人生のシナリオとはなんだろうか?目標とは何が違うのか?
それは、かなり具体的に進むべき先を語っていること。
そして、その進むべき先に向かっての道筋が明確に描かれていること。

▲具体的に言うと
例えば進むべき先とはこんなようなこと;
「家族皆で一緒に飲食店を経営し、苦楽を共にする」
「ベンチャー企業を経営し、50歳になったら仕事を辞めゴルフ三昧する」
「大企業で経営幹部になり、銀座の街を闊歩する」なーんて。

そう、人生目標が、やや堅苦しく、抽象的で、しかも教科書的であるのに対し人生シナリオによる進むべき先は、もっと人間的であり、具体的である。

▲ではどうやってシナリオを立てる
このようなシナリオは、まああまり堅苦しく考えずに、「こーなったらいいなー」程度でいい。
そして、実際のシナリオの立て方には二通りの方法がある。
一つ目は、最初に進むべき先をピンポイントで決め、その後からシナリオを作っていく方法。
二つ目は、進む道筋を何となく考えながら、結果として、進むべき先が決まってくる方法。
前者は、「こうなりたい」という、行先を決めたあと、ではどの道にしようか、車か徒歩か、服は何を着ようか、と行先への進み方を考えていく。
後者は、「今日はこの服を着てこんな道を散歩したい」という進み方を先に決め、結果として「そうしたら行先はここになる」と後から行先を決める。
難しい言葉で言うと、前者が演繹法、後者が帰納法の概念にやや似ている。
いずれにも共通しているのが、進むべき道筋と、進むべき先が明確に、具体的になっていること。

▲何故、シナリオと進むべき先が重要なのか?
「人生目標」と、「シナリオと進むべき先」の違いはわかったことだろう。
では、何でシナリオや進むべき先の方が重要なのか?
言うまでもなく、既に皆さんはおわかりだね。
重要である一つ目は、道筋や進むべき先が明確に具体的になっていないと、毎日が漠然と面白くも無いし、どこに進んでいるのかわからない迷走を繰り返すだけとなってしまうがのに対し、明確に具体化されていると、その心配はあまり無い。
次に、これの方が重要だが、人生、先がどうなるかわからないし、日々、苦しい場面に遭遇する。かかる中、どうせわからなく、しかも苦難も待っているのなら、楽しく想像し、面白くシナリオを描く方が、道を歩いていてもハッピーである。

そして、これらの結果として、進むべき先へたどり着く可能性も、非常に高くなる。

▲最後に
というわけで、是非、皆様、人生にシナリオを立て、進むべき先を明確に、具体的に決めてください。
もちろん、中身は日々変化して構いません。
シナリオやその先を考えていると、ホント、楽しいですよ。
そして、知らず知らずのうちに、その道筋の上に自分が立っていますから。


「企業の会計操作と人間の厚化粧」 2002年2月8日 −−vol.12

■企業の会計操作■

エンロンという米国大手エネルギー会社が倒産したことは記憶に新しい。
この倒産劇で最近話題となっているのが、エンロンの利益粉飾などの、会計操作についてである。
ディスクロジャー、透明性を自慢していた米国は、今後何を自慢することが出来るのだろうか?

米国のことはさておき、この企業の会計操作というのは、世界中どこでも行われている、至極当たり前の行動である。

念のために説明すると、企業は年間の売上高や利益を「損益計算書」として、年度末の資産や負債を「貸借対照表」として算出し、公開企業はそれを外部にオープンにする。
株主や銀行等債権者は、この損益計算書や貸借対照表(以下「財務諸表」という)を、対象企業の中身を調べる基本的な資料とする。
ということは、企業からすれば、自身の財務諸表をどうしても良いもの、ステキな内容、誰にでも自慢出来る結果、として作成したいと考える。

となると、実際の結果を少しでもよく見せるために、会計というルールに従って、多少の操作をしてしまう。
別にこれは悪い事ではなく、当たり前の事。
行き過ぎない限りは、それは「操作」というよりも、「テクニック」と言った方がいいだろう。
しかし、これが行き過ぎてしまうケースが多々あり、今回のエンロンもその代表例だ。その場合には「会計操作」あるいは「粉飾」という言葉になる。

■人間の厚化粧■

ここで全く話題を変えて、人間の厚化粧について話をする。
お化粧というのは、人間のみならず多くの動物でも見られる行動だ。
動物の場合、顔のお化粧というよりも、住まいのお化粧、動作のお化粧というのが多いが。例えばある鳥は、メスを呼び寄せるために自身の家(巣)にキレイなガラスとか木の実とかを集め飾っている。家のお化粧である。

それは置いといて、お化粧の目的はいろいろあるだろうが、代表的なものは言うまでもなく、キレイに見せること、異性を引き付ける手段となる。
通常の女性のお化粧は男性の立場として、やっぱり女性がステキに見えることに越したことは無いので、是非がんばって欲しい。

しかし、厚化粧だけは勘弁!
時々、元の顔がどんなのかわからないくらいに厚化粧しているなって女性が街を闊歩しているが。
はっきり言って、目がどうであろうが口がなんだろうが皺が多かろうが、厚化粧するよりは、スッピンでいてもらったほうがどんなに見栄えがいいことか。

厚化粧をやっている本人も、「何とかキレイに見せたい。醜い個所を隠したい」という一心だろうが、まあ物には限度というものがあるよ。

■会計操作と厚化粧■

ここで話を本題に戻すと、企業の会計操作と厚化粧というのは、その心理状態や目的が非常に似通っている。

企業の顔である財務諸表をよりよく見せること、これが通常のお化粧とする。
財務諸表を「粉飾」気味に「会計操作」すること、これが厚化粧に該当する。
そう、会計操作と厚化粧に共通するのが、「行き過ぎ」であり、「相手への裏切り行為」であり「場合によってはイケナイこと」となる。
厚化粧は、別に犯罪じゃないけど、場合によっては相手を大きく裏切ることとなろう。それこそ、元の顔を完全に変えてしまうくらいのものなんて。

会計操作も、企業の元の顔を隠し、場合によっては全くの別人と化してしまう。
そうなると、株主、債権者、従業員、その他企業の利害関係者という「異性」を、「私はこんなにキレイなんですよ」と騙したことになる。

■具体的な会計操作■

では、企業会計の「厚化粧」とはどんなものがあるのだろうか?
代表的なものは、上がってもいない利益の計上や、価値の下がっている資産の過剰経常など。

最近、証券化という手法、オフバランス化という言葉をよく耳にすることだろう。
これは、例えば本社ビルを持っている企業が、そのビルを証券化という手法でSPCという胡散臭いペーパーカンパニーに譲渡し、貸借対照表の資産を圧縮(オフバランス化)し、財務指標の数値を改善させる、などの例がある。

本当の意味で証券化とオフバランス化を図るのは、これはこれで経済合理性にあっているし、それ自体は「お化粧」程度とも言える。
しかし、私も仕事柄、多くの証券化案件を見てきたが、中には「これって騙しじゃない」って言いたくなるような証券化も散見された。

スキームなどの細かい話はまたいつかするが、簡単に言うと、持っているのと同じなのに売ったことにしオフバランス化をしているとか、リスクを外部に回避したことになっているのに実際にはリスクを負担したままとか。
そんなことを、会計や税務・法律の隙間をねって、複雑なスキームに仕立てSPC等を使って達成させている。

これって、間違いなく厚化粧だ。
本来の姿を隠し、全く別人になっているのだから。表面だけは。

■では、どこまでがお化粧でどこからが厚化粧■

では、上手なやり方でお化粧する会計テクニックと、厚化粧と同様の会計操作、その区別はどこからなのか?
これは非常に難しい質問である。多分完璧に答えられる人は世界中のオツムの良い人々でも誰も居ないだろう。

私が考えるのはこうだ。
事実を隠すようなこと、これは厚化粧であり会計操作。
事実を引き立てるようなこと、これがお化粧であり会計テクニック。

持っている顔やスタイルを、より良くよりキレイに見せるのがお化粧であり、それを隠し別の顔にしてしまうのが厚化粧とすると、1年間の経営の成績や年度末の資産等を、より素晴らしく見せることが会計テクニックで、それを隠し事実と別の諸表にするのが会計操作。

■我々はどうすべきか■

はっきり言って、会計操作はいつかは間違いなくバレる。
これは不思議なくらいに当たる。
やっぱ、事実は事実でいつしか判明してしまうんだな。
厚化粧だって、顔を洗えば、いや洗わなくてもバレるのと同様に。

では、どうせばれるんだったら、やらない方がマシ。
まずは、これを判って欲しい。
繰り返すが、バレた時の裏切り行為ということに対しての利害関係者(株主、債権者。あるいは異性)の反動を考えれば、バレるリスクが多いのなら、やらない方がいいに決まっている。

じゃー、経営者、財務担当者などはどう考えればいいか?
上述したように、隠すのが操作で引き立てるのがテクニック。
ただこれだけを考えておけば、絶対に間違い無い。
そして、行き過ぎたと思った時点では、厚化粧になっていることも。

■最後に■
というわけで、今回は厚化粧、いや会計操作についてでした。
人間誰でも、より良く見せようとするもの。でも事実は事実、それを変えることは出来ない。出来ないんなら、事実を引き立てることに専念すべきですね。
ではでは



「合併には役割分担を」 2002年1月30日 --vol.11

今回は『合併には役割分担を』についてお話を致します。

■企業の買収・合併(M&A)■
一昨年あたりから、日本でも企業買収・合併(以下「M&A」)が盛んに起きている。
2001年は、1600件とも2500件とも言われているが、いずれにしてもすごい数である。
ここ1,2年の著名案件では、興銀&勧銀&富士銀行、川鉄&NKK、三井化学&住友化学
あたりだろうか。
企業のM&Aとは、言わずもがな、企業同志の結婚である。

■日本のM&Aの結果■
企業同志の結婚なので、なかなか上手くいかないのが現実である。
これは、日本に限ったわけではなくM&Aの盛んな欧米でも同じ現象。
欧米の場合は、まあ離婚率も高いこともあり、上手くいかなくてもそれなりの対処法はあるが、日本の場合はそうもいかない。
今でこそ、離婚率は高まっているが企業の離婚となると、まだまだマイナスとしてしか見られない。
離婚まで行かなくても、M&A後の仮面夫婦、冷めた関係、というのがよく見られる。

■なぜか■
では、何故、企業の結婚としてM&Aした後、上手く行かないケースが多いのか?
その理由は、いろんなことが言われるが、最大のものが「お互いの役割分担を明確にしていない」ことではないかと思われる。
夫婦を想い起こして欲しい。
昔は、夫は稼ぎ妻は家を守るという役割分担があった。
今の夫婦は、もう少し役割が細分化されている。
例えば、稼ぎの中心は夫だが妻が補う。
掃除は妻が中心だがゴミ出しや風呂掃除は夫。
子供の教育も、芸術系は妻、スポーツ系は夫。
モラル関係で子供を叱るのが夫で、日々の生活関連で叱るのが妻。
ーーーーーーー。

これと同じことを、企業結婚であるM&Aでも明確にすべきであり、それを行っていないM&A事例は、まず例外なく失敗・離婚・冷めた夫婦となっている。

■役割分担の重要性■
役割分担が、ではどうして重要なのか?
それは、第一に、「この件については最終的に誰が決定権を持っているのか」、「決定権を持っている者は最終責任を負う」という、自己意識が明確になるからだ。
社内のプロジェクトでもそうであろう。
なんとなく皆でやるということは、「総合無責任状態」ということになる。
事が上手く運んでいるときは、この総合無責任状態でもいいが、いざやばくなると、皆が責任回避し、誰も決定を下さず、話があやふやになってしまう。
ドライに、「これは貴方の役割なので自分は関係ありません」ということを薦めているのでは無い。
役割分担しても、自分の担当外のことにも当然関与すべきである。
しかし、「決定権者」と「最終責任者」は明確にすべきである。

■ゼネコンのM&A■
話は変わって、三井建設と住友建設のM&Aが話題となっている。
一般的に、ゼネコンのM&Aは、規模のメリットと合併によるコストの削減が、その目的となる。
しかし、企業が1つになると、それだけ受注機会が1/2になるので、決して規模のメリットを享受できるとは限らない。
多分、上述した役割分担を上手く行わないと、単に受注機会が減っただけで売上は2倍とはならず、コストも2重コストで1/2にはならない。
両社の関係もぎすぎすし、数年後には夫婦別部屋での生活が余儀なくされることだろう。

例えばこの例の場合、民間営業の主はどちら、公共はどちらと明確にする。
土木の研究開発は住友、建築は三井。
総務は誰で法務lはどっち。
というように、それぞれの役割を明確にすべきである。
もしそうしないと、結果的には両社の主権争いで、社内の労力が無駄に使われることだろう。

■他の例■
このように、無駄な労力の例は、枚挙にいとまない。
ある合併した銀行では、未だに同じファンクションの営業部が、旧○○銀行、旧XX銀行、旧△△銀行で争っている。何をやってんだ、って感じだ。
ある製薬関係でも、同じバイオの研究開発を、旧○○製薬、旧XX製薬で、今だに同時に行っている。

■最後に■
結婚は、喜ばしくも難しいものですね。
お互い別の人格ですから。
たった二人という人間の結婚ですら難しいのだから、何百何千の人間が絡むM&Aが上手く行かないのも仕方がないのかもしれません。
でも、役割を明確にすることが、ドライなようであるが、それは、相手を尊重しし、認め合う必要な事柄。
認め合えば、仮面夫婦となることはないでしょう。
結婚もM&Aも、相手あってですからね。

「社名変更、そんなんでいいの?」 2002年1月25日 −−vol.10

今回は『社名変更、そんなんでいいの?』についてお話を致します。

【こんな社名、誰が考えたの?】
UFJ、JFEの略語を知ってる?
コミューチュア、ニッキって何?
Ministry of Education,Culture,Sports,Science,and Technologyはどこの省?

答えは、UFJ(三和銀行等が合併して出来た銀行の略称)、JFE(川崎製鉄とNKKの合併会社略称)、コミューチュア(近畿通信建設の新社名)、ニッキ(日本気化器の新社名)、Ministry---(文部科学省)。

企業や省庁の名前・名称は、そのものの顔だ。
これは人間も同じ、○○さん、□□君と言えば、その人がイメージされる。

上述した社名や略称で、どれだけの人がその企業を思い浮かべることだろう。
これら名前には、何の顔も見えない。誰が考えたものなのか?

【例えばJFE】
例えば、上述したJFEを取り上げてみる。
高炉再編が進む中、川崎製鉄と日本鋼管(NKK)の合併が決まった。
JFEはその合併会社のGroup名称で、JはJapanから、Fは鉄の元素Feから、EはエンジニアリングのEngineeringからとったとのこと。
「日本製鉄&エンジニアリング」という意味。
合併により、両社の不採算部門の撤退等を図り、鉄とエンジニアリングの会社として再生したいという気持ちは十分に伝わるが、はたしてJFEなんていうのがベストなのだろうか?
多分、多くの人々は、JFEと聞いて、どっかの銀行なのか、外資企業なのか、サービス企業なのか、くらいにしか想像しないことだろう。
つまり、企業として社外第三者に示したい顔を、理解してもらえないのみならず、全く別の業種業態を想像させてしまう。
カタカナや英文字省略が流行っているからと言って、お堅いビジネスの高炉が真似することは無いのでは。
逆に、正々堂々と、「鉄」という文字を使い、「我々は世界で勝ち組となる鉄の企業」というイメージを外部に伝えた方がいいような気がする。

【例えばカタカナ省略系】
上述したニッキから旧名称の日本気化器製作所の事業が想像できるのだろうか?
ハッカか食べ物くらいにしか思わないのでは。
上場企業での同じような例が、沖ウィンテック(沖電気工事が旧)、ハルテック(春本鐵工)、ハネックス(羽田ヒューム管)−−−。
どれも本業という顔に結びつかない名称だ。
そもそもが、あまり一般の人々には知れ渡っていない企業である。そんな企業が、しかも主業務が多数あるわけでもないのに、わけのわからないカタカナでいいのだろうか?
どっかのネット系ベンチャー企業と間違えてしまいそうである。

【例えば文部科学省】
もう一度文部科学省の英語名を記すと、Ministry of Education,Culture,Sports,Science,and Technology。
教育&文化&スポーツ&科学&技術の省ということで、言いたいことは判る。
でも、外人に「貴方の省はどこ?」と聞かれる場合どうするの?
名刺の裏に、省庁名に加え部署やセクション名称を記したら、名刺が一杯になっちゃんじゃないの?

【その他事例】
なんか変な感じのする新名称、あと二つ取り挙げる。
1つは、「損害保険ジャパン」という旧安田火災の新名称。
もう1つは、東京海上に事実上吸収される朝日生命が、新合併会社の名称に「朝日を絶対に残せ」と言い張っている例。

前者は、多分多くの人が「何これ?」と感じたのではないだろうか?
それこそ、むかーしの外人ミュージシャンの曲を日本名に変えた時によく登場したような名前の付け方だ。
後者は、そもそも吸収・支援されるのだから、旧名称に拘っている場合じゃないだろうと思う。

【名は体を表す】
繰り返すが、名前とはその人物・企業・商品名を表すもので、第三者はその名称で対象物をイメージする非常に重要なものだ。
それを、流行の英文字にしたり、わけのわからないカタカナにしたり、長過ぎて困惑させちゃったり、笑わせるような名前だったり、過去のしがらみに囚われ過ぎたりしていいのだろうか?
もう少し、考えるべきだと思う。

【いい例】
逆にいい例として、富士重工の新社名がスバルに、マイカル北海道がポスフールに名称を変えた。
前者は、スバルの方が消費者に対し顔を示しているし、後者は、倒産したマイカル色を消すのには必要なことだ。

【最後に】
お互い、相手にわかるような社名、使いやすい名称にしましょう。
「お宅の会社の名前、何だっけ」というのは、最も恥ずかしいことですよ。

「従来手法と新規手法の折衷」 2002年1月23日 −−vol.9

今回は『従来手法と新規手法の折衷(セッチュウ)』についてお話を致します。

■従来手法の弊害■
日本では、長年ビジネスの習慣、事業の取組み方や考え方があり、多くの日本企業はそれを未だに踏襲している。
でも、世界が変わり進化が早くなった現在、その多くが時代遅れとなっていること、誰もが気が付いている。
当然、時代遅れとなった分だけ、世界的な競争力は損なわれ、多くの人々が自信喪失し、倒産や解雇が急増している。

■手法パラダイムの転換■
かかる状況下、漸く日本も、その従来手法を変えよう、パラダイムを変換しようという動きになってきた。
その1つが、最近騒がれている医療改革であったり、公共料金の自由化であったり、あるいは、政府・自治体の取組み方であったり。
これはこれで良い方向であり、是非進めて欲しい。

■新規手法の弊害■
しかし、手法の転換というお題目の中、各種の新規手法、新たなビジネスの習慣、事業の新規取組みなどが日本に導入されている。
上述した医療、公共料金(電力など)、政府自治体もその1つ。
でも、この中でどれだけ上手くいっているのだろうか?
あるいは、今後どれだけ上手くいくのだろうか?
思うに、単に新規手法を導入しただけでは、間違いなく失敗・崩壊することだろう。
なぜか?まず、急激な転換は、それに日本人が付いていけない。これは説明するまでも無いだろう。
次に、これら新規手法を生み出し、導入を推進している企業や人々の中には、導入させることそのもの自体で儲けており、そうなると導入が目的で、事業改革はどうなってもいい、と考えていることが多い。
そしてもう1つ重要なのが、そもそもその新規手法や新たな習慣が、導入対象となる事業にフィットしているのか、ということ。

■例えば医療改革■
ここで、医療改革を例に挙げ、説明する。
過半数の医療機関が赤字体質で苦しんでいる中、病院経営に企業の参入を認めさせようという動きが活発化している。
従来の病院が赤字経営なのは、そもそもその経営を任されている人の多くが医者であり、経営手腕を買われて経営をしているわけではないから、利益を求めるようなノウハウが欠如していることが最大の要因だろう。
それに加え、原理原則で、医療は国民市民のためのものであり、営利目的のために存在するべきではない、ということがあるからとも言える。

いずれにせよ、最近この医療機関にメスが入り、現にある調査では医療機関の2割が一般企業の参入に賛成しているとのこと。
企業が参入した際には、一般企業経営と同様に、経営の効率化を図り、利益の最大化を目指していく。

しかしここで考えて欲しい。
経営の効率化による利益の最大化は、シンプルに言えば、儲かる患者だけを診察し、儲からない患者は捨てちゃおう、ということだ。
つまり、医療に市場原理を導入すると、患者の不利益になる可能性がある。
現に、企業の病院経営が認められている米国では、収益確保のための患者選別や不採算部門からの撤退がしばしば問題となっている。

■ではどうするか■
このように、従来手法ではにっちもさっちも行かなくなった病院経営だが、かと言って、企業の本格参入を許し、市場原理にそのまま任せるのも問題となろう。
ではどうするか?
抽象的に言えば、従来の手法と、企業参入の折衷案を、上手く作り上げることだ。従来の赤字当たり前、利益関係無しでもなく、企業の利益最優先、不採算撤退でも無い、その中間系、折衷系。
具体的には、PFIがその1つの手法となろう。
あるいは、企業には徹底的に市場原理で戦わせ、小児科等の不採算部門を国がある程度面倒を見るとか。

■なぜ折衷案■
ここで話を転じ、上述の医療改革のような折衷案が何故求められるのだろうか?
ゴルファーはゴルフを想像して欲しい。
例えば、スライスをするのでテークバックで右の脇を締めるように習ったとする。
それを意識し練習を繰り返すと、右脇を締め過ぎ、今度はフックが出てしまう。
ビジネスの手法もこれと同様である。
従来のやり方を直すために、新規手法を導入する。多くの新規手法は従来手法を否定するものであり、ある意味反対のことを行う。
そうすると、ゴルフ同様、行き過ぎてしまう、やり過ぎてしまうのである。
ゴルフの練習であれば、やり過ぎた右脇の締め方を、また脇をあけるようにすればいいのだが、ビジネスではそうもいかない。場合によっては行き過ぎたことによる失敗が致命傷となろう。

よって、新規手法を考え出し導入を検討する際には、最初から、その折衷案である従来と新規の中間系、を狙っていくことをお薦めする。

■最後に■
何事も、新しい発想ややり方を導入することは忘れてはならないです。
しかし、導入すると必ずやり過ぎてしまう、行き過ぎてしまうもの。
それならば、当初より折衷案・中間系を考えてみては如何でしょうか、というお話でした。


「投資は不況期に」 2002年1月21日 −−vol.8

さて本日の話は、『投資は不況期に』について。

題名から見て、大まかな内容は想像できるでしょうし、「そんなこと当たり前じゃないか」と既に思っている方も多いでしょう。
でも、あえて今回は話として取り上げます。

■半導体業界での日本の負けと海外の勝ち■
低迷が続いている半導体業界、日本の各社は設備投資を絞り込んでいる中、海外の勝ち組メーカーは大幅に増額させている。

日本の各社の来年度の投資予定は、日立が今年度並の400億円、東芝も同じく600億円程度、押しなべて今年度横ばいであり、過去最大の2000年度に比べて60%以上の減少となる。
これは、当面半導体景気の本格的回復が無いことと、過剰な設備投資をしてしまった反省、というのが背景にある。

目を海外に転じてみよう。
世界最大手のインテルは日本円で約7,000億円、韓国のサムスンは同じく2,500億円と、いずれも2001年よりは減少するも、日本メーカーよりも額が一桁上である。

当然、半導体市場における日本メーカーのシェアは、更に下がることとなろう。

■日本人の考え方;他社はどうなのか?■
日本の企業は、その多くがサラリーマン的な発想と決定プロセスを未だに踏襲しており、今回の半導体メーカーの投資計画や実績も、例外ではないだろう。

各社、社内で投資の稟議を上げるときに、「NECがこんなに多額の投資をするのだから我々もやろう」とか、「これだけの投資を行うのはそれだけ需要があるからだ。その証拠に天下の日立が大幅な投資増額を計画している」なんていう理由を、至極当然のように記載していることは間違い無いだろう。

別に半導体に限らず、それこそバブルの頃の不動産や金融商品投資、ちょっと前のIT投資なんかも同じ理論とプロセスを辿っている。

そう、日本企業は、投資理論というよりも、他社動向を投資判断の主軸に置いているのである。

■海外勝ち組企業の考え方;不況期に投資を■
一方、海外の勝ち組企業、あるいは日本でも一部まだ残っている勝ち組企業の投資への考え方はこうである。
「不況の時に投資を行うことが最も合理的な考え方の一つである」と。

何故か?
不況期は、まず建設コストや土地の値段等が好況期に比し格段に安い。
次に、これらコストのための資金調達も、金利が安い。
加えて、他社が投資を削減している中で、あえて投資を行うという市場への「我々は勝ち組である」というアピールになる。

そして一番大きいが、市場や市況のサイクルだ。
半導体に限らず、株式やその他商品、製品には市場があり、そこには値段が日々変わる市況が存在する。
市況は、その多くがサイクルを描き、下がったものは上がり、上がったものは下がるという、シンプルな構造となっている。
(実際には、サイクルとは別にトレンドというものもあり、また標準偏差やT検定等、複雑な計算は必要だが)
そうなると、好況期にはだいたいの製品市況が高値を推移しており、その時期に設備投資をした工場から製品が出荷される頃には、その高値が下落を始めている。つまりせっかく作ったのに高値の時期には間に合わない。
逆に、不況期は、新規設備投資の工場から製品が出荷される頃には、市況が高値に向かっており、且つ、同業他社は設備投資をしていないので、出荷量も多くを確保できる。

そう、誰が考えても簡単な、至極当たり前の理論。
株式でいうと、逆張りということだろう。

■再度、日本人の考え方■
では、こんな簡単な理論なのに、何故多くの日本人や日本企業はこれを実践できないのだろう。NECだって東芝だって日立だって、超優秀な人材が多数いるはずなのに。

この理由はただ一つ、皆、責任を取りたくないからである。
同業他社が投資を増やしたので我々も増やそう、というのは、あくまでその責任を他社に半分押し付けているのと同じである。
一方、「不況の今こそ投資すべきだ」では、万が一、更に不況に突っ込んだ時に、その責任を転嫁する相手が居ない。

そんな考え方では、日本企業が生き残れないのと同時に、その投資セクションの人間も不必要な人材となってしまうだろう。

今ひとつ、「他人がどうであろうと、自分はこう考える」と、原点に戻り、投資を検討して欲しい。

■最後に■
本日は、以上のような非常に簡単な話でした。
稟議にハンコを押す人も、稟議を書く人も、是非、基本に戻って投資を実行致しましょう。


「無形資産」
 2002年1月18日 −−vol.7

今回は、『無形資産』に就いてお話をします。

■有形資産から無形資産へ■
昨日の日経に、「デジタルガレージ」というネット企業が「ヴァンガード」というネットベンチャーのデジタルコンテンツを購入、事実上のヴァン社の企業買収をしたという記事が出ていた。

無形資産とは、英語でIntangible Asset、文字通り形の無い資産ということ。
企業の貸借対照表(バランスシート)上では、流動資産の下部に来る固定資産という項目の一部となる。
固定資産は、更に土地や建物などの資産である「有形固定資産」と、この「無形固定資産」に分かれる。

ここでは会計上の話をするわけではないのでこの辺で説明は終わるが、いわゆるこの無形資産に該当するのが、営業権や暖簾、特許権などが代表的であり、上述の記事にあるようなコンテンツなんかもそれに入る。あるいはブランドというものも入れて構わないだろう。

従来、企業の価値や銀行から見た担保力の絶対的な対象となっていたのが土地建物等の有形固定資産で、これの価値次第で融資の額が決まったり、企業買収の基本的な価格算定になったりしていた。

ところがご存知の通り、土地建物はそれだけでは収益を生まず、成長神話も終焉し逆にこの10年間大幅な値下がりが起こっている。

そんな中、今までは隅っこに追いやられていた無形資産が、ここ最近急激に注目を浴びるようになってきた。
現に、銀行融資等も無形資産の価値云々が大きく影響するようになってきたことも事実だ。

■ブランド資産■

では、形の無い資産が何で価値があり、また注目されるようになったのか?
まずは無形資産の中で最も価値があると弊員が考えている「ブランド」について話をする。
例えば、ハンバーガーを思い出して欲しい。もし同じ値段で同じ場所にマックとバーガーキングとウェンディーズがあったら、多くの人がマックに行くことだろう。
コーラと言って一番目に思い浮かべるのが、コカコーラのあの独特の赤い色とロゴマークだろう。
あのベンツのマークは、何となくシックで高貴に見えてしまうのは何故だろうか?
どうして20%も安いナショナルのウォークマンではなくSONYのものを買いたいと思うのだろうか?

これらはいずれも、消費者がマック、コカコーラ、ベンツ、SONYのブランドを認識している証拠で、そのブランドには大きな見えない価値がある。
価値があるということは、そこからお金が生まれる。お金が生まれるということは見える価値=資産がある、ということ。

このブランドという資産は、無形資産の中でも最も脚光を浴びている。
しかも、従来ブランドというのは金額などの定量で示すことが困難であったが、最近はブランドを金額や数値で示す/算出することが可能となり、それ専門のブランド価値算定会社もある。

ブランドは、その価値は極論するならば上限無し、無限大で、過去から現在まで企業が脈々と積み上げるものである。
一方では、一瞬にしてその価値が急減することもあり、典型例が昨年の雪印だ。

つまり、ブランドという資産を築き上げるには、長い年月が必要だが、一度築き上げれば、他の資産と違い、大きなアドバンテージとなる。しかし崩壊するのも一瞬ということ。

ブランド資産は、大企業のみならず中小企業、いや街の商店レベルでも重要である。
例えば、BARだろうが居酒屋だろうが八百屋だろうが。

今後の企業経営、事業運営で、有形な資産よりも無形の資産、特にブランド資産が最も重要な資産の1つであるというお話。

■無形資産は資本要らずで資本が手に入る(無形資産証券化)■

ブランド以外の無形資産で、特許やコンテンツについては、皆さん馴染みのある名前なのでここでは割愛するが、ブランド資産を含め、これら無形資産は、極端に言えば資本(=お金)無しで作り上げることが出来る資産であり、それが有形固定資産と最も異なる点の1つと言える。
土地や建物は、それ相応のお金を支払い、手に入れるものだが、無形資産は人が人の力で人のために作り上げるもの、蓄積されるものである。

この、場合によっては資本無しの資産に価値が就くとどうなるか?

それだけで、上述した通り、銀行からお金を借りたり、最近は証券化という手法で資金を手に入れることが可能となってきた。

私も、仕事柄、以前に「無形資産の証券化」というのを取り組んできた。
証券化というのは、その対象となる資産が将来生むであろうCashを担保に、小口に証券を分割して投資家からお金を集める手法で、不動産や債権などの資産によく使われる。

無形資産の証券化は、その資産価値の評価とか、投資家への説明等、かなり難しかったのだが、漸く日本の市場も整ってきた感じであろうか。

いずれにせよ、極論では全くの資本無しで、証券化等で資本を手に入れることが出来る、唯一の資産が、無形資産では無いだろうか。

■最後に■

繰り返しだが、これからは無形資産の時代である。
有形の資産を集めるにはお金がかかり、いくら集めても全くお金を生まない可能性もある。
無形資産は、少ない資本で多くのお金を生むことが出来るもの。
でも、有形資産は誰でも手に入れることは出来るが、無形資産はその個人や企業の積み重ね、つまり知恵やナレッジの蓄積である。

皆さん、これからは、有形資産ではなく、無形資産をどうやって積み上げるか、積み上げた無形資産をどうやってお金にかえていくか、真剣に考えましょう、というのが本日のお話でした。
「知恵や知識の蓄積」  「wisdom& knowledge」



「残された者には福がある」 2002年1月16日ーーvol.6
今回は「残られ者には福がある」という題で、リストラされた事業部門や子会社に残されてしまった社員について話をします。

最近、不採算部門の外だしや切り捨て、あるいは採算部門だけの集約が、大手企業で頻繁に起こっている。

例えば、不採算部門の切り捨てでは、流通が不採算部門の安売りスーパーや店舗を閉鎖する。
商社が、あまり儲かっていない部門を他の商社とJointで合併子会社を作る。
メーカーが、ある工場ラインを止めるとか売却する。

採算部門の集約では、銀行のように利益をあげる会社だけを拾い出して別途会社を設立し、残された会社には儲からない部門だけが取り残されるなどなど。

この場合、その切り捨てられた部門や残された部門にも当然社員がいる。
そしてその社員は嘆いていることでだろう。「同じ時期に入社した同僚は優良部門に行き、どうして俺だけ不採算部門として切り捨ての対象になるのか」と。

確かに、入社した時の配属先が、結果的に現在不採算部門か採算部門かによって、切り捨てられる側か、ピカピカ部門に残る側かに分かれてしまうケースが多い。まあ偶然とは言え文句を言いたくなる。

でも、ここで発想を切り替えてみよう。
そりゃ、採算部門としてピカピカの立場で引き続き業務を行うことはそれはそれでハッピーだろうし、不採算部門で切り捨てられるのは不幸である。
本当にそうだろうか?

不採算部門だと、まあゼロからのスタート。前年比より業績が下がって当たり前で、少しでも上げることが出来ればそれなりに評価される。
また、不採算部門の社員は、その多くが落胆し、辞める人ややる気を失っている人が多いだろう。それはつまるところ、ライバルが勝手に落馬してくれているのと同じで、その分、自分は他人との差別化が容易である。
もちろん、優れた人々が外部からリクルートされるケースも少ないし。そうなると、自分が少しでも優れたことを行うと、結構目立ってしまい、一躍「会社には無くてはならない存在」、いや「会社を再生蘇生させる中心人物」と化してしまうことであろう。

一方、採算部門だと、良くて当たり前。前年比より業績が下がろうものならコテンパンに叩かれ悪い評価を与えられてしまう。
もちろん、優秀な社員が「よっしゃ、やってやるぞ」と更に自己向上に走り、外部からも優良な人材がリクルートされるので、ライバルがどんどん増え、それぞれのライバルの頑張りようもすごいものがあるだろう。
そうなると、まあよほど自分もがんばらないと目立つことも出来ないし、差別化は困難、最悪は「不必要な人間」になってしまう。

つまり、古い店舗で品質があまり良くない果物コーナーの中で、新品のメロンとしてがんばることは、優良店舗で高い品質ばかりの野菜コーナーの中で、売れるか売れないかわからず待っているダイコンよりも、かえって有利という話。

更に、皆さん、自己啓発・向上には励んでいるだろうが、現状と自分が描く理想像にギャップがあればあるほどがんばるもの。
ピカピカで始まれば、ついつい現状に満足してしまい、サボってしまうのが人間の性。
悪い環境下でスタートすることは、その理想とのギャップが大きい分だけ、がんばり度合いが高く、結果的に将来の自己レベルは高いものとなっていよう。

というわけで、今回は、「残された者はかえってハッピーである」というお話でした。
スーパーの閉鎖対象店舗の人も、鉄鋼メーカーのリストラ対象工場の人も、商社の不採算合併会社の人も、是非、腐らずにがんばって下さい。





「さよなら青目の外人さん」 2002年1月15日 −−vol.5

今回は、〜さよなら青目(外人)〜と称し、外資の日本への参入とその撤退について述べます。

最近の新聞紙上で、幾つかの外資が日本市場からの撤退を表明しております。
例えば、証券では山一の社員が多く雇用された「メリルリンチ日本証券」、金融では未公開企業投資を目指した大手外銀の「ABNアムロ」、家電ではパソコン大手の「ゲートウェイ」、リテールでは銀座に大々的に出店した「ブーツ」、ITではネット広告の「メディア・レップ」などなど。

いずれもが、基本的には本国では成功している勝ち組である。
でも、日本では負けた。
何故だろう?
答えはシンプル、ここは日本人が住んでいる日本という国であり、消費者の多くが日本人だからだ。

外資はとかく「自己のビジネスモデルや戦略」を日本に導入する。
その典型例が、社員に対する能力至上主義であったり、ドライでビジネスライクな考え方であったり、合理性のみの追求であったり、アナログや曖昧さよりもデジタル的でYes/Noをはっきりされることであったりーーー。

確かにこのような欧米流は、日本人の欠けている点であり、ある程度勉強したりする必要も我々にはあろう。
しかし、それを日本人という消費者や社員にフィットした形で、導入することが成功の必須条件である。

ここで一例を出すと日産の成功である。
かの有名なゴーン社長は、とにもかくにも工場や売り場という現場に足を運び、モーターショーなどでは自らが消費者にインタビューをしている。
そして、「日本の労働者や消費者には何が当てはまるのだろうか」を肌で実感したことに基づいて結論や決定を出していっている。
一方、私は仕事柄、外人の日本での業務を手伝ってきたが、このゴーン社長のようなことを行ってきた外人達は、まあ100人に一人か二人であった。そのほとんどの人々が「我々はこのやり方で成功してきた。だから日本にもこれを導入し成功させる」という、如何にも我がままな自分勝手な考え方を持っており、それを実行してきた。
もちろんその多くは失敗に終わっているが、これで尻尾を巻いて帰国してくれればそれはそれでいい。しかし厄介なのが、自分の失敗を、例えば米国人なら米国政府の力を借りて、何とか成功に持ち込もうとする彼らの強欲である。
電力の自由化、通信の自由化、第三保険、会計基準などなどがその典型例であろう。
日本のお役人や政治家もどうも外人には弱く、結果的には腰折れで寄り切られるケースが多く、寄り切られた桟敷下にいる我々ビジネスマンはたまったものではないが。

私は、タイ赴任中に、現地タイ人と随分仕事をしたが、その際最も気を使ったのが、「タイ人の物の考え方、習慣、慣習」を肌で実感させ、それをベースに日本流を導入すること」であった。残念ながらこの考えをしている日本人は少なかったが。

というわけで話を戻すが、上述したような世界的に成功している外資の日本での失敗は、「我を通しすぎ、強欲でありすぎ、日本人の本当の気持ちを掴んでいない」というのだ最大の要因であろう。

小泉総理の影響じゃないが、漸く日本人もその辺に気が付き、言いたいことが言えるようになってきた。
そうなると、今までボロ儲けしてきた青目外人さん達はサヨナラですね。「バイバイ」。




「市町村に物申す」
 2002年1月8日ーーvol.4


今回の話は市町村の合併について。
昨年は浦和/与野/大宮の大型合併があったが、ここのところ全国津々浦々でこの市町村合併が検討されている。

でも、果たしてこれは本当に市民のためになっているのだろうか?
あるいは、合併を進めているお役人たちは、合併の意味や意義をわかっているのだろうか?

例えば、最近騒がれているのが「湘南市」構想。
首都圏在住でない方はやや地理感がわからないだろうが、そう、いわゆる湘南地方の市町村合併。対象となるのが、藤沢市、平塚市、寒川町、大磯町、二宮町。
何年か前に、自動車の「湘南ナンバー」が出来たが、その延長なのだろうか。

いずれにせよ、これって意味あるのでしょうか?
例えば、二宮市なんて、東海道線鈍行で1時間以上かかる東京に出るよりも、熱海に行くほうが近い。そう、直ぐ先が小田原なんだから。

湘南と言えば、古くは裕次郎、ここ20年程度はサザンが作り上げた「日本で最先端のカッコいいSeaside」。海は汚いけど、やっぱりステキな町々である。
そこに、なんで熱海の方が近い市町村が入るのだろうか?

これは決して「二宮なんて町をケナしている」わけではない。
いや、逆に二宮町に対し、もっと自己アイデンティティを確立し、他人依存はしないで、自力で町を向上させなさい、という激励の言葉である。

多分、二宮町民の多くは、自分が裕次郎&サザンの「湘南」に住んでいるという実感は無いだろうし、無理やり「湘南」化されることもさほど望んでいないことでしょう。

もしこのまま二宮町が「藤沢や平塚」に合併される形で湘南市となったら、その存在意義がなくなってしなうような気がする。
なぜなら、二宮という由緒ある地名が消えてしまい、「名は湘南だが実は小田原の延長」程度の存在となり、東海道線から人が降りることも稀で、多くの人々が元二宮の存在を忘れてしまうことでしょう。

以上、やや長くなったが、何を言いたいかと言うと「どういう目的で合併するのですか?」、「合併により何を期待しているのですか?」を、市町村の首長は、しっかりと見据え、Visionを明確にすべきである。
ただ単に、「ブランドが欲しいから」、「合併によるコスト削減を行いたいから」、「ブームだから」では、市民のための市政とはならないだろう。

以前、仕事で北海道の某市の合併に多少関わっていた経緯がある。
その際、その市の担当者から「死ぬほど忙しく調査をしているが、すればするほど疑問に思ってきた。この合併は誰のために行っているのかって」という声を聞いた。
まさにこの通りである。

また、同じく以前、浦和・与野・大宮の合併に携わっていた県庁の人と話をしたのだが、合併により、選挙区争いから利権の奪い合いまで、合併前よりも市民の心が汚れてしまった、らしい。

まあ、世の中、トライ&エラー、試行錯誤は必要だろうが、今ひとつ、市町村合併について考えたいものだ。

ではでは




「年頭挨拶と年間Vision」
 2002年1月7日ーーVol.3

皆様、やや遅れましたが明けましておめでとうございます。

さて、2002年を迎え皆様も心フレッシュに新たな希望や本年の目標を頭に描いていることでしょう。
我が「東京ビジネス研究所」も同じで、以下を本年の目標、Visionと致します。
@購読者を4桁まで増やす。←是非お知りあいも誘ってください。
Aホームページの内容を、三流から一流のレベルまで高める。←完成したらご報告します。
B具体的に、企業やビジネスマンからのコンサルティング業務を請け負う。
C盛大なオフ会を開催する。

この目標達成のために、特にBのコンサルティング業務請負に至った際には、是非皆様のお力をお借りしたいと存じます。

ところで、このような年間目標やVisionですが、皆様はどんなことをお立てになりましたか?
この年間目標・Visionは、出来るだけ具体的に、数値や言葉を入れるべきです。
よく、「今年はがんばるぞ」的なことや、「今年はたくさん勉強するぞ」とか、「彼女を作るぞ」、「仕事で成果をあげるぞ」、「自己向上させるぞ」、「趣味のゴルフの腕を上げるぞぞ」なんて、非常に抽象的な目標を耳にします。

これはこれでいいのですが、まあそのほとんどが達成出来ずに1年が終わるか、あるいは達成したとしてもその実感が薄く終わってしまうでしょう。

その理由はただ一つ、具体性に欠けるからです。
具体性に欠けると、どうしてもその進むべき道がはっきりせず、またその道中に何をやるべきか、不明瞭となります。

マラソンは、折り返し地点やGoalがはっきりしているから走れるのですよね。
ゴルフは、自己の出したいスコアが明瞭であればあるほど面白いですよね。
仕事も、プライベートも全て同じ、具体的な数値や言葉、指標が必要です。
そして、その数値・言葉・指標が、自分の現状よりもやや高いところにあるのがいいですね。
あまり高すぎても飛べないハードルとなり倒してしまうことは見えているし、現状と同じじゃ意味が無いので。

例えば上述の抽象的な目標に具体性を入れるとこうなります。
「今年は勉強するぞ」→「アナリスト試験を申し込み勉強を開始し、2年で資格取得するぞ」
「彼女を作るぞ」→「一週間で最低一回は女性と会い、夏休みには誰かと旅行するぞ」
「仕事で成果をあげるぞ」→「顧客Noteを作り毎週それを管理することにより顧客いへのフォロー体制を作り、売上を毎月、前年比10%Upさせるぞ」
「自己向上させるぞ」→「アルビントフラーの本を読破するぞ」
「ゴルフの腕を上げるぞ」→「週末には練習場に行き、80台を出すぞ」

てな感じですかね。

まあ、まだおとそ気分抜けきれないでしょうので、今週末の連休までには決めましょうね。

では、それぞれの目標やVisionが達成されますように。




「Business is Simple」 2001年12月26日ーーVol.2

こんな記事が出ていた。

三井物・住商の建材販売統合、来年2月に
 三井物産は25日、11月に発表していた住友商事との建材販売事業の統合を、2002年2月1日付けで実施することを決定したと発表した。三井物が本体の同事業を分社化して、住商の全額出資子会社である住商建材(東京・中央)と統合、社名を「三井住商建材」とする予定。新会社の持ち株比率は三井物、住商それぞれ50%ずつとなる。

さて問題、これは上手く行くでしょうか?

最近、商社間にて、ビジネスの統合や協業がよく見かけられる。
その多くの理由が、口銭商売自体に限界が出てきたこと、中抜きという商売に対し必要以上の利益がとれなくなったことに対する打開策として、統合を取り上げている。

でも、果たして統合すれば上述の問題が解決されるのだろうか?

そもそも、商社でなくても、そのFunctionがあれば、中抜きや口銭商売は十分にやっていけている。その最たるものが、不動産仲介業であり、Yahooのようなネット事業である。
いずれも、ユーザーとサプライヤーの間に立って、その収益をEnjoyしている。
理由は簡単、Functionがあるからである。

商社間の事業統合も、Functionが無ければ、単なる統合による費用削減効果以外には何も得ることは無い。
逆に、Functionされあれば、統合しようがしまいが、利益は取れる。
ただそれだけだ。

統合が流行っているが、まずはその自体のFunction、存在意義を深く追求してくことが先決ではないだろうか?





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